一つ前のエントリで畝山さんが紹介している「委員発表等の概要」での各委員の方から出た意見を改めて読みなおしましたが、論点は色々とでているものの、これらを具体的な報告書にまとめるのは難しいのでは、という印象を持ちました。特に消費者教育の話にまで広がると、表示のあり方のみの検討会の範囲を大きく超えてしまう事でしょう。まず、絶対必要な項目や改善が求められるものだけについて、提言を持つ事が大切なのかな、そんな風に考えます。
今回は委員発表等の概要に記されていた各委員の発言などに対し、議事録の遣り取りなども踏まえ個人的に感じたことを幾つか書かせていただきたいと思います。
■前提に対する疑問
リンク先の資料p2より
・平成17年度の国民健康・栄養調査のデータを再解析した結果、栄養成分表示を参考にしている人は、食環境に対するニーズも高く、自分の食生活に対しても意識が高い傾向にある。しかし、栄養摂取状況に関しては、男性では参考にしている人の方が食塩摂取量が多い。また、体格や健康状態に関しても、男性では参考にしている人の方が、血圧は高く、糖尿病と言われた人の割合が多いという結果である。(赤松委員)
・推測としては、「血圧が高い」「糖尿病」と言われたため、関心を持って栄養成分表示を参考にしているのではないか。すなわち、健康増進といったような一次予防というよりも、早期治療には役立っているのが現状ではないか。(赤松委員)
健康を害した事が切っ掛けとなり、食生活に気を配るようになるというのは感覚的にも納得のいく推測だと思います。栄養成分表示が有効に活用される為には、そうではない多くの方にも注目してもらえるような働きかけが大切になるのでしょう。ところで、引用文中には一つ気になるところがあります。それは『男性では参考にしている人の方が食塩摂取量が多い』という部分です。推測通りの順序であるとすれば、栄養成分表示に関心を持ち、参考にした結果が高い塩分摂取量となって現れたという事になってしまいます。これはどういう事なのでしょう?
憶測になりますが、いわゆる健康に良い食習慣のモデルとして示された食品を選択した結果、高い塩分摂取量になってしまった。つまり日本型食生活推奨の弊害では無いかと私は考えます。栄養成分表示の意義は、自分にとってどのような食事が適しているのか、という教育や啓発などにより知識が身についていて、表示を上手に活用することで、目標とする栄養摂取バランスに近づけるという部分にあると思います。ところが、理想と考える食習慣に近づける事が現状では高塩分食を誘発してしまうのだとしたら、活用の前段階で大きな問題を抱えているといえそうです。科学的根拠を・・・と述べるのであれば、日本食ありきの食育活動についても見直しをする必要があると思います。
■消費者教育
せっかく栄養成分表示が充実してもそれを有効に活用する術を多くの人が身につけないと意味がありません。消費者の表示に対する理解を深めてもらう為には消費者教育の充実が必要であると多くの委員が述べております。
資料p1-2より
・国民の健康増進の重要性を消費者に正しく伝えるためには、レギュラトリー・サイエンス(科学的根拠のある情報をどのように作るか)とコンシューマー・サイエンス(消費者の理解を促進するための施策や指針をどのように作るか)は、車の両輪となっている。(清水教授)
・オピニオンリーダーを育成、活用して啓蒙活動を進め、消費者のレベルを上げて、消費者の行動変容、健康増進につなげられるコンシューマー・サイエンスを進めていくべき。(清水教授)
資料p3-4より
・メディア等から発信されるフードファディズム情報(特定の食べ物だけを食べていれば健康になる等、健康や病気へ与える影響を課題に信じたり、評価すること)に流されてしまうのは、消費者だけの問題ではなく、正確な情報の不足、消費者への教育の機会の不足、さらに長い目で自分の栄養状態を正しくとらえるための情報を消費者に認識させる環境の不足等の要因が指摘できる。(蒲生委員)
知らなければ何も改善することは出来ませんし、その為には教育と普及啓発が不可欠なのは間違いありません。
清水教授はその一つの例として、オピニオンリーダーの育成によるコンシューマー・サイエンスの推進を挙げておられますが、個人的には今回の原発事故後のサイエンスコミュニケーション問題を思い出してしまいます。
おそらくオピニオンリーダーはボランティア的な位置づけだと思いますが、これは従来から活用されている食生活改善推進員とは違うものなのでしょうか?国の重要な栄養施策の大事な所を任せるのに、ボランティア的な位置づけの方が中心で良いのかどうかは色々考えなければならないと思うのです。これに関連して先日の榎木英介氏のブログ記事に書かれていたことを思い出しました。少し引用します。
【コミュニケーションを担うのは誰か】http://d.hatena.ne.jp/scicom/20110606/p1
ボランティアやNPOとして情報発信を続け、その責任を負うというのは、野尻氏が述べるように並大抵のことではない。
サイエンス・コミュニケーションを担う人達の多くは、ボランティアか、あるいはたとえ大学の職にあったとしても、任期付きの不安定な職に就いている。まさに社会が切実に求めていることを、こうした人達に依存してよいのか…
これは「新しい公共」にも向けられる懸念だ。公共、インフラといった、人々が生きていくのに極めて重要なことを、ある種脆弱なNPOなどに任せてもよいのか…
Twitter上で情報発信を続けた科学者が、大学や研究機関の教授、准教授であったことは、象徴的なことのように思う。もちろん、教授位の学識がないと情報発信ができない、ということでもあろうが、不安定な立場であったら、果たしてできたのか。
「サイエンス・コミュニケーターは職ではなく役割である」と言われるが、もし、中間者が切実に世の中に求められているのなら、その必要性に見合うだけの地位や権限を、必要だと思う人達が与えるべきではないか…
非常に厳しいサイエンス・コミュニケーター批判が多方面で起きているが、地位も名誉もなく批判だけある、そんな「火中の栗」を、自発的に拾いに行く人がどれだけいるのだろうか。それは「ないものねだり」ではないのか。
健康増進の重要性を伝えるオピニオンリーダーは単なる善意のボランティアでなく、正統な対価が支払われ、それに見合った地位や権限が与えられなければ実効性のあるシステムとして長続きしないと思うのです。人にものを伝える、正しく教えるというのはとても難しく責任のある行為ですが、個人の善意や信念などを公的な機関が頼りにしてしまうというのはやっぱり危険だと思うのですね。信念や善意は正しさを担保しませんし、さらに怪しい健康法の実践者などが信念や善意を持ち合わせている事が多いように思います。
■誰のための食品表示か
資料p4より
・表示については、消費者調査を行うなど、実際に使う消費者の意見を集めて分析検討することが重要。(蒲生委員)
これに関しては、委員の方も参加している論文*1でも考察されているようですが、更に様々な角度から検討されても良いように思われます。アンケート調査の場合、ちょっとした言葉遣いの違いで結果に大きな差が出ることもあり得る話だからです。
例えば、『栄養成分表示を充実させる事に貴方は賛成ですか?』という質問であれば、賛成と答える事に抵抗は少ないと思いますが、『栄養成分表示を充実させる為に商品一つ当たり○円の値上げをお願いすることになります。貴方は賛成ですか?』という質問だと賛成は少なくなるかも知れません。
栄養成分表示が自分たちにとってどのような利益をもたらしうるのか、その為のコストはどれくらいで、自分は何を行う必要があるのかなど、キチンと理解してもらった上での答えでないと、アンケート結果は意味を持たない可能性があるでしょう。
私は直接食品表示とは関係の無い調査や統計が参考になるような事もあるように思います。
農林水産省『平成21年度 食料・農業・農村白書』より
30年前に比べて、消費支出全体は大きくなっているのにもかかわらず、食料消費支出が減少しております。つまり、食料にお金をかけたくない、かけることに抵抗があるという消費者心理が予想されます。
また、こちらのアンケート調査結果では、経済の低迷からか食の安全よりも経済性を重視する消費者の傾向が見いだせます。
これらが実情をしっかりと反映しているかは分かりませんが、食の安全であったり健康に対して、できる事ならお金をかけたくないと言う消費者が少なからずいる事は予想できそうです。もし、食品表示を充実化させる事により食料品の値段が上がるような事があれば、表示を行わない安価な商品に手を伸ばす人が現れたり、値段上昇分を節約するため、食品の品目が少なくなる事もあり得るのでは?そんな心配もしてしまうのです。そのような食と健康に関心の薄い層にこそ届けたい情報であるはずなのですが・・・
■なるべく負担は少なくして欲しい
資料p1より
・同じ目標を達成できるのであれば規制や費用はできるだけ少ない方がよい。(畝山委員)
必要な項目は絞り込んで、安価に抑えることが必要なんじゃないかと思います。
私個人的には、新たな食品成分の表示を急がなければならない理由は無いように思います。必要な情報をじっくり収拾し、十分な議論を行い、その間の健康教育も充実させ、準備万端になってから始めれば良いと考えます。
暴論、失礼いたしました。
*1:池上幸江ら:栄養・健康表示の社会的ニーズの解明と食育実践への活用に関する研究.栄養・食糧誌、61, 285-302 (2008)